47歲日本高齡免疫媽媽 借卵成功喜迎雙胞胎

當我發現台灣也有「借卵」時,我就決定要去了。先生一開始是非常反對借卵,因為他認為生一個沒有我的DNA的孩子沒有意義。但我始終認為,儘管孩子只有先生的DNA,但他會在我的肚子裡成長,我跟寶寶的血流交織,所以他絕對是我和先生的孩子沒錯!
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2025-07-11 2025-07-11
作者 客戶分享

47歲日本高齡免疫媽媽 借卵成功喜迎雙胞胎

42歲日本高齡不孕,歷經流產與治療挫折

我在2014年,已經是高齡42歲時開始接受不孕症治療...

小時候,我總是抱持著總有一天一定會結婚生子的夢想,但隨著年齡的增長,我開始覺得結不結婚好像已經沒有那麼必要了,但是在38歲時,我邂逅了我的先生,迅速墜入愛河的我們兩個隨即開始談戀愛。在剛剛開始交往時,先生就提到了對於未來要結婚的打算,但因為我的年紀比先生大,先生的父母對我們表示反對。雖然我跟先生很早就開始同居了,但是經過了4年,先生的父母才同意我們結婚。在同居期間,我們都有持續嘗試自然懷孕,但是就單純抱持著順其自然,聽天由命的態度。當我們真的準備要登記時,先生提出了我們是不是要正視並且面對不孕症的這個話題。

其實在接受檢查前,我只知道自己一直都有腹痛的狀況,檢查後才發現竟然有子宮肌瘤和卵巢囊腫這些會影響懷孕的問題,因此需要先進行手術治療。在那次的手術後,我的左側輸卵管也因為有狀況也連帶被切除了。

手術後,日本的不孕症醫師告訴我:「在不孕症治療裡,年齡占了很大的比重,如果能早一點開始,可能性完全不同。」即使成功機率很低,但只要有可能,我還是想要努力嘗試,但是在這個時候,我的婆婆對我說:「自從我兒子和你結婚的那一刻起,我就沒有一定要有孫子的想法了喔。」這句話我至今仍難以忘懷,對她來說,這可能是好意出自於安慰,為了不要讓我被強迫或是一定要進行不孕症治療的壓力,但是聽到這句話的我,心裡仍然非常受傷。除了左側的輸卵管被切除,在日本接受不孕治療的過程中,每一次能夠取到的卵子也都很少,雖然也有成功懷孕,但最後迎來的卻是流產的結果。還記得那個時候,醫師看了超音波圖像後告訴我「胚胎已經停止發育了,需要進行流產手術。」,雖然難過也只能接受這個消息,後來在看診室等待後續通知時,醫師進來邊走邊愉悅的說:「胎兒的發育非常穩定喔!」這讓我又再次抱持著希望,然而,當醫師看到我的臉後,卻露出了驚訝的表情,隨即改口說:「流產手術的日期是......」這又讓我再一次感受到絕望。因為這間醫院的名聲很大,醫師都很忙碌,每一次的等候時間也都很久,可以理解這種錯誤是有可能會發生的,但那時的我對這家醫院的信任與期待已經蕩然無存。

47歲日本婦在日本經歷2次人工受孕、11次取卵,結果因習慣性流產而導致植入失敗,最終選擇飛來台灣送子鳥進行「借卵療程」,在第四次植入搭配「生殖免疫」藥物及動態三採密切追蹤,成功迎來雙胞胎。

47歲赴台借卵燃起希望,送子鳥秉持三陪:專業、溫度、品質

於是經歷五年後,我開始認真做功課,尋找從以前就有興趣的「卵子受贈」療程資料。原本以為只有美國、烏克蘭和泰國有「借卵」的服務,但當我發現台灣也有時,我就決定要去了。當我告訴先生時,一開始他是非常反對借卵,因為他認為生一個沒有我的DNA的孩子沒有意義。但我始終認為,儘管孩子只有先生的DNA,但他會在我的肚子裡成長,我跟寶寶的血流交織,所以他絕對是我和先生的孩子沒錯。最後,他看到了歐美醫師的想法,認為也有可能會有我的DNA與寶寶重組,因此行動派的我們馬上寄了郵件給在台灣的送子鳥生殖中心,與送子鳥生殖中心的諮詢師取得聯繫,她的回應非常迅速且詳細,在還沒去台灣之前就已經讓我們感到非常親切和信賴。

在我們開始到台灣的送子鳥生殖中心進入療程後,也發現了很多與日本的差異,原本我以為日本已經是先進高端的醫療了,但台灣似乎又更厲害,像是在送子鳥抽血時沒有完全疼痛感,就連曾讓我痛到流淚的輸卵管攝影檢查也完全沒有感到不適,這讓我對後續的療程不再有恐懼,甚至是充滿了期待。

送子鳥的醫療人員,包括O醫師、護理人員和日本諮詢師,儘管他們都很忙碌,但他們的細心和親切,讓我對每一次的回診都感到非常的開心,也對未來能成功懷孕生子這件事充滿了信心。

多次試管植入失敗,赴台借卵喜迎雙胞胎

我們一開始植入一顆胚胎,但沒有成功著床。後來我們植入兩顆胚胎,這次雖然成功懷上了雙胞胎,但最後胎停出血流產了。這發生於2019年2月,正值新冠疫情爆發之際。雖然結果令人悲傷和失望,但我們的信心從未動搖。經過詳細檢查後,我們發現了需要解決的問題,並對下一次的療程充滿期待。儘管中間有四年因為疫情而無法前往台灣,在疫情結束後,我們就重新開始著手準備接受治療。最後,在2024年1月3日,我們成功生下了一對健康的雙胞胎。這次的成功真的難以言喻,但我的身體實實在在地感受到了,多虧了免疫球蛋白IVIG,讓我能夠順利懷孕並且到生產。

我非常感謝O醫師和所有醫療人員,以及在療程中一直陪伴著我的日本諮詢師,在植入後與懷孕期間,流產的陰影還是一直在存留心裡,腦海中不時會想到過去的事情,但因為有你們的支持和鼓勵給了我無比的力量和信心,讓我的夢想得以實現。雖然照顧雙胞胎的生活充滿挑戰,睡不飽的夜晚、疲累的身體,但我每天都感到非常幸福。餵奶、換尿布、推推車,所有曾經夢想過的事情如今都變成了現實,真的非常感謝你們!

來自客戶分享的原文:

私が不妊治療を始めたのは201442歳の時でした。子供の頃は大人になったら結婚して子供が出来てと云う漠然とした夢がありました。大人になるにつれ結婚にあまり興味がなくなっていましたが、38歳で主人と知り合いお付き合いが始まりました。当初から主人は結婚を意識した将来的な話をしてくれていましたが、私が年上だった事もあり主人の両親から反対されました。早くから一緒に住み始めていましたが、主人の両親から結婚の許可が出たのは4年後のこと、反対されている間は子供は自然に任せてと云う感じでした。入籍に向け主人から不妊治療の話しを切り出されました。

検査が始まる少し前から腹痛があったのですが、子宮筋腫と卵巣嚢腫があることわかり、不妊治療に支障があるとの事でまず、それらの手術になりました。その際、左の卵管を切らないといけなくなりました。

日本の不妊治療の病院からは「不妊症ではなく年齢的なものが大きく、あと一年早くスタート出来ていれば可能性は全然違った」と言われましたが、可能性がある限り挑戦したいと思いました。そんな時、義母から言われた言葉が今も忘れられません。「Jちゃんと結婚した時から子供()は諦めてるから」と義母にしたら不妊治療頑張らなくても良いと云う励ましのつもりだったかもしれません。でも私はとても傷つきました。日本での不妊治療は片方の卵管が切れている事もあり、採卵の数も非常に少なく妊娠したものの流産という結果になりました。その時に病院のお医者さまからエコーを見ながら「成長が止まっている、流産の手術を」という説明を受けました。診察室で待っているとお医者さまが入って来て「元気に成長していますよ」と言われましたが、私の顔を見るとアッという表情をされ「流産の手術日ですが」と話を切り替えられました。私は成長が止まったのは何かの間違いで元気に成長しているのかと一瞬期待と嬉しさの感情が出たのですが、再度絶望感に見舞われました。有名な病院で待ち時間も数時間、お医者さまも多忙で、そんなミスもあるでしょう。しかし私の病院への信頼と期待が消えてしまいました。

そして以前から気になっていた卵子提供について本格的に調べようと思いました。アメリカとウクライナ、タイでしか無いと思っていたのが台湾で‼︎という情報を見た時に自分の中で即決し主人に話すと、私のDNAが入らないと子供を持つ意味がないと、夫は当初は反対でしたが、私は主人のDNAで自分のお腹の中で自分の血が巡り育つのだから自分の子に間違いない!と言い切りました、主人はネットで調べて私のDNAも組み込まれるという欧米人医師の見解を読み、それならと賛成!と、思い立ったら即行動の私達は直ぐに送子鳥診療所にメールを送り期待でワクワクしながら返信を待ちました。しかしなかなか返信がなく、送子鳥診療所を検索すると出てくる日本の病院の院長宛にメールでコンタクトを取り、何か協力頂けないかと伺うと、忙しくメールが埋もれている可能性があるので私の紹介と再度メールを送ってみてくださいと仰って頂き、送子鳥の台湾のスタッフのMindyさんとのやり取りが始まりました。

連絡はとてもスムーズで対応も非常に丁寧で親切な文面、お会いする前から信頼と親しみが生まれました。そして治療に向けてスタートを切る事が出来ると色々な驚きがありました。医療最先端と言われ私もそう思っていた日本での治療と比較し、採血は痛くない、痛みで涙が出た卵管造影検査に関しても全く痛みが無く、治療に対しての怖さが無くなり楽しみしかなくなりました。台湾以外からの患者さんも多く、忙しさは日本の病院以上のはずなのに、頼先生を始め少しの関わりだけの全てお医者さま、看護師さん、そして日本人スタッフの皆さん、丁寧で親切で寄り添って下さる対応に毎回訪台が楽しみで、必ず赤ちゃんが出来るという確信を持つ事が出来ました。

お腹に戻すのを1個ずつで始めましたが、妊娠に至らず2個に増やし双子の妊娠に至りましたが、また流産してしまいました。コロナが始まって直ぐの20192月の事でした。勿論悲しい残念な結果でしたが、私の確信は揺らぐ事はありませんでした。そしてその結果を以って更に詳しく調べて下さった事で、解決すべき問題が分かり、次の妊娠に期待をかけるもコロナ禍で約4年間訪台できずにいました。再開の連絡を頂いた半年後、治療を始める準備を整え治療再開、そして2024.1.3無事に元気な双子を出産することが出来ました。今回始まった点滴IVIGのお陰で無事出産まで可能になったのは言葉には出来ませんが私自身、体で感じています。

治療に付き合って下さった頼先生始め医療スタッフの皆さん、そして治療に確信は持ちつつ流産のトラウマが頭から離れなかった私に寄り添い励まし続けてくださった日本人スタッフの皆さん、どれだけ励まされ勇気づけられ心強かったか分かりません。皆さんのお陰で安心し、希望を持ち続け夢が叶ったと思っています。双子の育児は寝る時間も無く、確かに体は大変ですが、幸せな気持ちで日々満たされています。授乳、オムツ替え、抱っこ紐、ベビーカー‥夢に見ていた事が全て現実になりました。本当に有り難うございます。

*醫療行為需與醫師討論進行,本篇文章僅反映當時治療狀況與建議

評論

Mindy
Mindy
  1. 看著您每次來診時的開朗笑容,我們的心也融化了,由衷感謝您對於療程的百分之百信賴與配合,還記得第三次植入後照到了兩個胎囊,在超音波下也看到了些微閃爍的心跳後您超級開心的立刻來信分享,結果一個禮拜後大出血,也宣告了那次的胎停,重整心情後,您在出差時捎來了一張照片,那是一隻鸛鳥(俗稱送子鳥),您說剛好出差的地方有這種鳥,很美,看著牠彷彿也給了我信心,相信一定會從送子鳥生殖中心帶回一個寶寶。」我看著email感動到眼淚難以自制的落下,謝謝您的相信,也還好我們沒漏氣!
  2. 抗磷脂質抗體陽性與血栓體質,讓您歷經了多次試管植入失敗與習慣性流產,幸好在疫情期間我們發展了生殖免疫(動態三採/提早放榜+密集追蹤/著床期急救),引進了生物製劑與免疫球蛋白,也在疫情後重新檢查發現您的著床時間偏移了,萬全準備後終於讓您在第四次的植入就順利帶回了雙胞胎,不小心創造了一個好字。
  3. 客戶的幸運密碼:

卵子顆數

正常受精卵

囊胚

植入顆數/
ERA

ERA

生物製劑/血栓針

結果

20

15

12

1

122hr

no

未懷孕

1

122hr

no

未懷孕

2

122hr

克立生

懷孕7周胎停

2

145hr

克立生/復邁+IVIG

龍鳳胎